LinuxとGit——世界中のコンピューターとソフト開発を支える二大発明を生んだ、リーナス・トーバルズ。歯に衣着せぬ物言いで知られるこの伝説的エンジニアが、いまAIをめぐる論争に、興味深いひと言を放った。「AIを使う人を攻撃するのは、やめろ」。かといって、彼はAI礼賛派ではない。むしろAIの誇大宣伝には手厳しい。“アンチ”でも“万歳”でもない——その“中間の道”に、AIと付き合う私たち全員へのヒントがある。
01何が起きたのか
2026年7月15日、Linuxカーネル(中核部分)の開発者メーリングリストでのこと。トーバルズは、あるやり取りの中で“反AI”的な論調にきっぱりと待ったをかけた。要は、「AIをコーディングに使う人を、責め立てるな」というものだ。GamingOnLinuxやSlashdotなどが報じている。きっかけは、あるオープンソース団体が出した「生成AIをFOSS(自由/オープンソース)開発で使うときの推奨事項」や、AIによるコードレビューツールをめぐる議論だった。
02でも、AI礼賛でもない——トーバルズの“中間の道”
ここが肝心なのだが、彼は決して“AIで何でもできる”派ではない。その立場は、驚くほどバランスが取れている。ポイントは3つだ。
整理すると——①AIを使うこと自体を責めるな(使うのは正当だ)。②でも「AIが全部やる」は嘘。③大事なのは、AIが作ったものを“自分で理解して、責任を持てる”こと。使うな、でも、丸呑みもするな。ちょうど真ん中を行く、職人らしい構えだ。
03なぜ、この声が響くのか
トーバルズの言葉に重みがあるのは、彼が“煽り屋”でも“悲観論者”でもなく、30年以上、世界を動かすコードを実際に作り続けてきた“作り手”だからだ。その人が「AIは使え。ただし、作ったものは理解しろ」と言う。これは、いまネットで声の大きい2つの極端——「AIはズル・スロップだ、使う奴を叩け」派と、「AIが全部書く、人間はもう要らない」派——のどちらにも与しない、第三の道である。
そして、その第三の道こそが正解に近い。道具は、それを理解して使う人の手の中でこそ、真価を発揮する。AIを拒むことでも、AIに丸投げすることでもなく、「強力な道具を、分かって使いこなす」。当たり前のようでいて、論争の熱の中で見失われがちな原則を、彼は思い出させてくれる。
04つまり日本の読者にとっては
まず、権威ある“作り手”からの、健全なメッセージとして受け取りたい。AIを仕事で使うことに、後ろめたさを感じる必要はない(使っていい)。ただし、出てきたものは自分で理解し、責任を持つ。これはコーディングに限らない。文章でも、企画でも、分析でも——AIに下書きさせ、あなたが理解して仕上げる。この順番と姿勢が、AI時代の“プロ”の条件になる。
そして、声の大きい極論に振り回されないこと。「AIを使うなんて」と責める人にも、「AIで全部できる」と煽る人にも、正解はない。トーバルズが示したのは、その真ん中——AIを生産性の“かさ増し”として使いつつ、土台となる“理解”は手放さない、という現実的なバランスだ。
結局、AI時代の“できる人”とは、AIを避ける人でも、何でもAIに任せる人でもない。AIが生み出したものを、「自分の名前で世に出せるくらい理解している」人のことだ。使え。でも、分かって使え。伝説的エンジニアの、シンプルで力強いこの言葉を、コードを書かない人も含めて、胸に留めておきたい。